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東京高等裁判所 昭和60年(ネ)640号 判決

控訴人 武内建設株式会社

右代表者代表取締役 武内清

右訴訟代理人弁護士 吉峯啓晴

同 森田健二

同 吉峯康博

右訴訟代理人吉峯啓晴訴訟復代理人弁護士 平野昌子

被控訴人 大同生命保険相互会社

右代表者代表取締役 福本栄治

右訴訟代理人弁護士 斎藤和雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、金二一七一万二〇〇〇円及びこれに対する昭和五六年一一月一日から支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行宣言を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は次のとおり訂正、付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一1  原判決三丁表一行目、四丁表一行目、六行目、同丁裏九行目の各「背髄」を「脊髄」と訂正する。

2  原判決三丁表七行目の「麻卑」を「麻痺」と訂正する。

二1  控訴人の主張

(一)  被保険者武内勇の発病時期

勇が罹患した脊髄腫瘍の発病時期が昭和五五年一二月であることは、東京女子医科大学脳神経センター脳神経外科医師高橋信、亀田総合病院医師亀田郁太郎、東京歯科大学市川病院医師根本孝一作成の各診断書(甲第一ないし第三号証)の右発病時期がいずれも昭和五五年一二月となっていることから明らかである。

勇は同年四月五日膝がガクンとなったことがあり、同月七日大野中央病院で医師長谷川攻の診察を受け、検査のため入院したが、検査の結果異常がなく、症状も消失したため同月九日退院したものであり、長谷川医師は当時脊髄腫瘍が発病していたという見方を強く否定している。

また、長谷川医師の紹介により同月一九日勇を診察した大学病院(帝京大学医学部附属病院)医師阿部光俊は、長谷川医師の紹介状に対する返事(乙第九号証の六)のなかで、勇の症状を両下肢痙性麻痺と一応の診断をしているが、脊髄腫瘍という診断は下していない。もっとも右返事のなかには「原因はもっと上のもの(胸椎部)と思います」と胸椎部と右症状との関連を暗示する記載があるが、それは単なる一般的な推測を述べたものに過ぎず、胸椎部の脊髄腫瘍を疑ってのものでないことが明らかである。阿部医師の昭和五七年三月二六日付診断書の傷病名も両下肢痙性麻痺であり、右麻痺は「脊髄傷(障)害によるものと思われる」という記載があるが、当時阿部医師は勇が脊髄腫瘍に冒されていることを知っていたのであるから、それにも拘らず脊髄障害と記載したことは診察当時は脊髄腫瘍に冒されていたことを間接的に否定したものと考えられる。

更に、疾病すなわち病気とは「生物の全身または一部分に生理状態の異常を来たし、正常の機能が営めなくなる現象」(広辞苑)なのであるから、発病したというためには具体的な症状が有意的かつ継続的に発現することが必要である。

ところが、昭和五五年四月五日勇の膝にガクンときたという症状は一回的なものであり、脊髄腫瘍との関連性も明らかなものではないから、その時点で右疾病の具体的な症状が有意的かつ継続的に発現したものではない。

(二)  保険者の過失

被控訴人の主張するように、勇が検査目的のため大野中央病院に入院し、長谷川医師から大学病院を紹介されたことが、本件保険契約締結に当たり告知すべき事項に該当するとしても、保険者である被控訴人が右事項を知らなかったことについては過失があったものである。

すなわち、告知を要する事項とは保険者が危険を測定するにつき重要な事実をいうところ、保険者は告知事項の基準となる保険技術を形成し、これに精通していてどのような質問事項を立て、どの程度の事実を把握できれば収支のバランスを保つことができるかを知悉しているのであるから、危険測定に必要な事項を予め網羅的に質問表の質問事項に組み入れ、また診査に当たる専門家である医師をして素人である保険契約者又は被保険者から右必要な事項を聞き出す具体的質問を行わせることが可能なはずである。保険者の質問の有無に拘らず保険契約者等が自発的に右必要事項を告知しなければならないものとするのは、告知の要否の判断を誤った場合その不利益を素人である保険契約者等に負担させることとなり不合理である。

本件において、勇は生来頑健で日頃病気をしたことがなく、大野中央病院に入院中に自覚症状は消失し、その後体調は良好であったのであるから、医学的知識もない勇が右入院等のことを岩倉医師による診査の際失念していたとしても不思議なことではなく、勇が右入院等の事実を告知しなかったのは、右診査に用いられた告知書(乙第三号証の一)の質問事項が網羅的でない上に質問の仕方が抽象的であり、かつ岩倉医師が勇に対し記憶を喚起させるに足りる具体的な質問をしなかったためである。したがって、被控訴人が右入院等の事実を知るところとならなかったのには具体的質問をなすべき義務を怠った過失がある。

(三)  除斥期間の徒過

被控訴人は、株式会社生保リサーチセンター(以下「リサーチセンター」という。)を通じて長谷川医師の昭和五六年七月二四日付診断書を入手し、これにより勇の大野中央病院受診の事実を確認したものであるが、リサーチセンターは被控訴人の依頼を受けて事実調査をしている機関であるから、右診断書がリサーチセンターに到達したときをもって被控訴人が本件保険契約の解除原因とした右受診の事実を知ったときに当たるというべきところ、右診断書は同月二六、七日にはリサーチセンターに到達している。

したがって、被控訴人が控訴人に対し同年九月六日到達の書面でなした本件契約解除の意思表示は、告知義務違反を理由とする解除権行使の除斥期間である一か月間経過後のものとして無効である。

2  控訴人の主張に対する認否

(一)  控訴人主張(一)項中、勇の罹患した脊髄腫瘍の発病が昭和五五年四月ではなく同年一二月であるとの点は争う。

長谷川医師の阿部医師に対する紹介状に、長谷川医師の診断として「ヘルニア」或は「腫瘍」と記載され、阿部医師の右紹介状に対する返事(乙第九号証の六)に、「原因はもっと上のもの(胸椎部)と思います」と記載されているところからすれば、勇は昭和五五年四月の時点で既に脊髄腫瘍に罹患、発病していたものであり、少なくとも右乙号各証は右発病が同年一二月であるとの控訴人の主張についての反証として十分なものである。

(二)  同(二)項は争う。

(三)  同(三)項中、被控訴人がリサーチセンターから控訴人主張の診断書を入手して、主張の事実を確認したこと、リサーチセンターが被控訴人の依頼により事実調査を行っていることは認め、右診断書がリサーチセンターに到達した日は不知、その余は争う。

商法六七八条二項が準用する同法六四四条二項にいう「保険者カ解除ノ原因ヲ知リタル時」とは、保険者が解除権行使のために必要と認められる諸要件を確認したときを意味し、その場合の保険者とは、代表機関その他保険会社のために解除権限を有する者を指称するものである。

本件において、リサーチセンターが保険者でないことはもとより、リサーチセンターに右診断書が到達しても被控訴人としては解除権行使のため必要と認められる諸要件を確認するすべがないものである。

3  《証拠関係省略》

理由

一  請求原因1、2項並びに3項中、勇が脊髄腫瘍を発病し、昭和五六年三月一三日及び同年六月五日の二回にわたり第二ないし第五胸椎の椎弓切除、腫瘍剔出等の手術を受けたことは当事者間に争いがない。

二  ところで、本件は勇が右脊髄腫瘍により廃疾状態になったとして廃疾給付金、脊髄腫瘍により入院、手術したにつき入院給付金、手術給付金の支払を求めるものであるところ、本件保険契約によれば、前記のようにこれら給付金は被保険者が給付責任開始の日(本件の場合は昭和五五年一〇月二〇日)以後に発病した疾病による場合にのみ給付されるものであるから、右脊髄腫瘍の発病時期につき検討する。

1  《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  勇は昭和五四年一一月頃から時折右下腹部痛とともに両側膝痛及び歩行に際し両下肢特に右下肢がもつれる異常を感じたが、さして気にもとめていなかった。ところが、昭和五五年四月五日朝目覚めてベットから立ち上ったとたん両膝の力が抜けて折れ曲り、倒れそうになり、その後も両膝脱力感が残り、右下腹部痛及び歩行障害(跛行)の症状があったため、同月七日大野中央病院に、妻溪子を附添わせて赴き、医師長谷川攻の診察を受けた。

(二)  長谷川医師は、勇から右症状を訴えられて、その体を前後屈させると両下肢の力が抜けるところから、勇に検査のため入院するように勧め、勇は同日右病院に入院した。長谷川医師は、翌八日及び九日にかけて造影法による腰椎から仙椎部までの脊髄のレントゲン撮影、尿検査、髄液検査等の諸検査を実施したが、その結果には特に異常な点は見出せなかった。

(三)  勇は同月九日自ら希望して大野中央病院を退院したが、長谷川医師は翌一〇日通院してきた勇に対し尿路造影剤のテスト等を行い、同月一四日再度受診に来た勇に対し、それまでの所見から、病名を解明するまで至らないまでも、一応の診断として腰椎から仙椎までのヘルニア又は腫瘍が考えられた(特に両下肢脱力から腫瘍を疑った)ので、これを伏せたまま、腫瘍の権威者(教授)である大学病院の医師阿部光俊宛の紹介状を書いたうえ、前記脊髄造影のレントゲンフィルムを交付して阿部医師の診察を受けるよう勧めた。

(四)  勇は同月一九日大学病院に阿部医師を訪れ、歩行困難を主訴として診断を受けた。その結果、右医師は、勇の症状は両下肢痙性麻痺と診断し、その原因は長谷川医師がレントゲン撮影した部位より上部の胸椎部の脊髄障害と考えたが、確定するには精密検査によらなければならなかったので、勇に対し一週間の入院を勧めたが、症状を自覚することの乏しかった勇は、仕事に差障りがあるとして右勧めに従わず、以後右医師の診察を受けることもなかった。

(五)  勇は、その後日常生活を特段の支障なく送っていたが、同年一二月に至り、右足から運動障害が発症し、歩行に杖を必要とするようになり、昭和五六年一月二九日東京女子医科大学脳神経センター脳神経外科で診察を受けた。その際、両下肢運動障害、第六胸椎レベル以下の感覚障害の症状があり、諸検査の結果、胸椎部の脊髄腫瘍と診断され、前記のとおり同年三月一三日及び同年六月五日の二回にわたり第二ないし第五胸椎の椎弓切除、腫瘍剔出等の手術を受けた。

以上のとおり認められ(る。)《証拠判断省略》

2  右認定のとおり、両下肢運動障害は脊髄腫瘍の一症状であるが、昭和五五年四月発現した勇の歩行障害すなわち両下肢運動障害ないし両下肢痙性麻痺が脊髄腫瘍を原因とするものかどうかは、勇において精密検査を受けることをしなかったため、結局その時点で突き止めることができなかったものの、長谷川医師は部位にずれこそあれ脊椎におけるヘルニア又は腫瘍と一応の診断を下し、阿部医師も胸椎部の脊髄障害を原因とするものと考えたものであって、右時点と脊髄腫瘍によるものと確定的に診断されるに至った両下肢運動障害の発症した同年一二月との間には約八か月の間隔しかないこと、前後の症状が類似し、前者につき阿部医師が患部と推定した胸椎部が後者につき確定された患部であることからすれば、同年四月発症した両下肢運動障害が右確定診断にかかる脊髄腫瘍を原因とするものであることは、医学的にこれを断定した資料はないとしても、その可能性は否定できないものというべきである。

証人長谷川攻の、右四月の両下肢運動障害が脊髄腫瘍を原因とするものかどうか分らない旨の供述及び阿部医師の診断書(乙第九号証の九)の右運動障害(痙性麻痺)の原因を脊髄障害とする記載は、いずれも、控訴人主張のように脊髄腫瘍を原因とするものであることを否定する趣旨のものではなく、右のように断定まではできないという趣旨のものと解すべきである。けだし、長谷川医師は前記認定のとおり右運動障害の原因としてヘルニア又は腫瘍と一応の診断をしているものであり、また《証拠省略》によれば、阿部医師の右診断書の記載は長谷川医師の右診断を踏まえてのものと認められるからである。

また、控訴人は、前掲甲第一ないし第三号証の各診断書の発病時期が昭和五五年一二月となっている旨主張するが、勇に対し前記椎弓切除等の手術を施行した東京女子医科大学脳神経センター脳神経外科医師高橋信作成の診断書である甲第一号証には傷病発症年月日欄は空白となっており、東京歯科大学市川病院医師根本孝一作成の診断書である甲第三号証には受傷(発病)日欄に昭和五五年一二月頃の記載はあるが、併せてそれは患者の申告による旨の記載があり、亀田総合病院医師亀田郁太郎作成の診断書である甲第二号証には、傷病発生年月日欄に昭和五五年一二月の記載があるが、それが医師の推定によるものであるか患者の申告によるものであるか明らかにするよう求められているにも拘らず、いずれとも記載がなく、右記載をもって亀田医師の診断結果と認めることができない。

他に勇の脊髄腫瘍が同年四月に発病した可能性を否定し、同年一二月に発病したものであることを認めるに足りる証拠はない。

なお、昭和五五年四月の症状がたとい、その後勇の自覚できない程度に消失し、かつ脊髄腫瘍の発現と断定できないものであるとしても、右症状が本人に自覚され、診察した医師において一応の診断がつき、精密検査の必要を認めた程度のものなのであるから、これを目して、控訴人主張のように病気の発現としての症状に当たらないとは到底いい得ない。

以上によれば、控訴人主張の勇の廃疾状態及び入院手術が、前記の給付責任開始の日以後に発病した疾病によるものとは認められないから、控訴人は本件各給付金を請求できないものといわねばならない。

三  なお、本件における審理の経過等に鑑み、以下告知義務違反による本件保険契約解除の点についても判断することとする。

1  先ず、勇に告知義務違反があったかどうかにつき検討する。

(一)  本件保険契約締結に先立ち、昭和五五年九月一二日勇が被控訴人の診査医岩倉晴二の診査を受けたこと、その際、勇は右医師から告知書(質問表、乙第三号証の一)に基づき、これに記載されている質問項目(2ア)「病気や外傷で七日以上の治療を受けたこと(または休養をしたこと)がありますか。」、(3エ)「からだにぐわいの悪いところがありますか。」、(3カ)「病気や外傷のため診察・治療・検査・入院・手術をすすめられていますか。」につき質問を受け、いずれも該当なしと答えたことは当事者間に争いがない。

(二)  《証拠省略》によれば、本件保険契約約款(定期保険普通保険約款)六条二項には、被控訴人の診査医が被保険者の診察を行う場合には、診査医が質問事項を記載した書面に基づいて質問を行う旨定めており、乙第三号証の一は右条項にいう質問事項を記載した書面に外ならないこと、岩倉医師は勇に右告知書の質問事項につき項目毎に質問を行うに当たり、例えば手術したとか、精密検査を受けたとか健康診断で指摘されたことがないかとか等包括的に病歴を問い質したこと、その後、右医師は身長、胸囲、腹囲、体重及び血圧を測定し又は勇から聞き出し、聴打診、触診、歩行状態の観察及び尿検査により、同人の一般状態、胸・腹部、精神・神経系、感覚器・運動器の異常の有無等を診断した結果、やや高血圧症気味である以外は異常はないものと診断したこと、勇は右診査の際前記大野中央病院での受診及びその前後の事実を想起することなくこれを岩倉医師に告げなかったことが認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

(三)  ところで、前記認定のとおり、勇の昭和五四年一一月頃から見られるようになった両側膝痛等、昭和五五年四月五日発現した両膝脱力、歩行障害等の症状が脊髄腫瘍という生命の危険を測定するのに重大な関係を有する疾病に同人が罹患していることを疑わせるものであり、また、右症状の発現により勇が同月七日大野中央病院で長谷川医師の診察を受け、同日から同月九日まで右病院に入院して検査を受けた結果、右医師から大学病院の阿部医師を紹介されて受診を勧告され、同月一九日受診した阿部医師から精密検査のため一週間の入院を勧告された事実は、被保険者の生命の危険を測定するために必要な事実であり、保険者がその事実を知ったならば保険契約を締結しないか又は同じ条件では保険契約を締結しないと客観的に考えられる事実すなわち商法六七八条にいう重要なる事実に該当すると解すべきである。

しかるに、勇が前記認定のように、阿部医師から精密検査を勧告されながら、大学病院その他の専門医療機関で診察、検査を受けて一定の診断結果を得ることをしていない以上、右勧告から約五か月経過したというのみでは、右勧告が前記診査当時において告知書の質問事項の一つである病気のため検査を勧められていることに該当しなくなるものではないというべきであるうえ、一般に告知書(質問表)に記載の質問事項に該当しなくとも重要な事実は保険契約者又は被保険者において告知すべき義務を免れないものと解すべきである。

(四)  そして、《証拠省略》によれば、勇は生来頑健でそれまでは病気にかかったことが殆んどなく両膝脱力等といった特別な自覚症状が一時的に消失したところから、事の重要性を理解することなく、大学病院等専門医療機関による精密検査を受けることなく終ったものであることが認められるが、医学的知識の乏しい一般人といえども、両側膝痛から両膝脱力、歩行障害の症状が自覚されて、一般開業医を訪れたところ、入院しての検査でも確たる診断がつかないので、大学病院で専門医の診察を受け、一週間程度の入院検査を勧められたとすれば、右症状に何らかの重要な疾病が潜んでいるのではないかと疑って当然であり、これを、勇において特別の自覚症状が一時消失したことをもって一過性と安易に考え、その原因究明の機会を放棄した結果、前記症状等の重要性を認識するに至らなかったのには重大な過失があったと認めるのが相当である。そして、前記診査に際し、勇にとって約五か月前の特異な体験というべき入院検査等の事実は同人が少し注意をすれば容易に思い出すことができた筈のものである。

(五)  以上のとおり、勇には本件保険契約の締結に当たり告知すべき重要な事実を告知しなかったものであり、同人には告知義務違反があったというべきである。なお、勇が昭和五五年九月二六日従来結んでいた第一生命保険相互会社との生命保険契約を解除したという当事者間に争いのない事実も、右の判断を左右しない。

2  ところで、控訴人は、被控訴人が勇の大野中央病院での受診等の事実を知らなかったことにつき、同人に対しこれを想起させるような具体的質問をすべきであるのに、これをしなかった過失がある旨主張する。

しかし、前記認定のとおり、診査医岩倉晴二は、勇に対し、病歴につき包括的に質問をした上、告知書の質問事項に入っているものであり、その3カも「病気のため検査をすすめられていますか。」というものであって、一般人が素直にこれに答えようとすれば、五か月位前に一般開業医において入院検査を受け、更に進んで大学病院で入院による精密検査の勧告を受けたことは容易に想起できる内容のものと認められるから、本件において、被控訴人に控訴人主張のような過失があるとはいい得ず、前記認定の診査の状況からすれば、本件において、被控訴人に重要な事実を発見するため通常払うべき注意は払ったものと認めるに足りる。

3  次に、被控訴人が勇の前記告知義務違反を理由として、控訴人に対し昭和五六年九月六日到達の書面で本件保険契約解除の意思表示をしたことは当事者間に争いがないところ、控訴人は右解除の意思表示が被控訴人において告知義務違反の事実を知って一か月経過後になされた無効なものである旨主張する。

そこで検討するに、リサーチセンターが被控訴人の依頼により事実調査を行っていること、被控訴人がリサーチセンターを通じて昭和五六年七月二四日付の長谷川医師作成の診断書を入手して、これにより勇の大野中央病院受診の事実を確認したことは当事者間に争いがない。しかし、リサーチセンターが被控訴人の耳目として、その認識が被控訴人の認識と同一視できる機関の地位にあることはこれを認めるに足りる証拠はない。

単に被控訴人の依頼を受けて事実調査を行う被控訴人と別個の会社であるリサーチセンターに右のように診断書が到達したことによって被控訴人において告知義務違反の事実を知ったと認めることは到底できないというべきである。

したがって、たといリサーチセンターに右診断書の到達したのが、同月二六、二七日とするも、そのときから右除斥期間は進行するものではないから、このことを前提とする控訴人の右主張は、前提を欠くこととなり、理由がない(なお、《証拠省略》によれば、被控訴人がリサーチセンターから、前記診断書の送付とともに勇に関する調査報告を受けたのは、昭和五六年八月一〇日と認められるのであるが、リサーチセンターの前記診断書入手日時との間の右のような時間的ずれは、上記判断を左右しない)。

四  以上の次第で、控訴人の請求はいずれにしても理由がなく失当としてこれを棄却すべきである。

よって、原判決は相当で、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中永司 裁判官 豊島利夫 加藤英継)

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